「努力が報われなかった」 「心から信頼できる人が少ない」 「自分の性格を好きになれない」 「生まれてきた意味が分からない」 日々、私の中でうずまく絶望たち。 腹が立つので「全て真正面から向き合ってやろう」 と思いました。 これは『私が生きるための絶望哲学』。 どこかに正解があったとしても、ここには、私が生きることを諦めないために 考えたことを綴ります。 その過程で、 誰かを救えるようなことが あるとすれば、とても嬉しく思います。

ゆらぎと孤独、私の美学

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港町で育ったこともあって、昔から水辺が好きです。悲しいことがあると必ず水のある所に行く癖があります。

都会に引っ越してきてからは、水とは縁の薄い生活をしていましたが、今日は涼しくなり始めたのを見計らって、夕方から河川敷をぐるりと一周してみました。

イヤホンを外すと、懐かしい音がしました。
場所が違っても水は水なんだな。

小路を照らすオレンジ色の光が水面に揺らいでいて、大きくて黒々しい鯉が一匹、水流に逆らって泳いでいて、それを見ているとなんだかぼうっとしてくるようでした。

ゆらぎと孤独。
私の美学。

強く見える人が揺らぐ瞬間が好きです。

強い人は、最初から強かったわけではなく、「そうならざるを得なかったから」強くなったという人の方が多い気がします。強さの原動力は、大抵ひどいコンプレックスや悲しみ、恐怖や承認欲求だったりするからです。

そんな人の奥底で見え隠れしていた悲しみや弱さが、こちら側に大きく揺れる瞬間。
私には、それがひどく美しく、それでいてたまらなく愛おしく映ります。

私が「闇が見える人が好き」とよく言うのはそういうわけです。

また、社会でしか得られないものがあるように、
孤独でしか得られないものがあります。

自分の心と体にどれだけ向き合ったか。
その時間に比例して、確かに育っていく強さがあると思うのです。

さて、やはり、水辺で得られるものは大きいようですね。

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