「努力が報われなかった」 「心から信頼できる人が少ない」 「自分の性格を好きになれない」 「生まれてきた意味が分からない」 日々、私の中でうずまく絶望たち。 腹が立つので「全て真正面から向き合ってやろう」 と思いました。 これは『私が生きるための絶望哲学』。 どこかに正解があったとしても、ここには、私が生きることを諦めないために 考えたことを綴ります。 その過程で、 誰かを救えるようなことが あるとすれば、とても嬉しく思います。

「休む」ってなんだろう

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休む 哲学 生きる

例えば、体調を崩したとき。

「ゆっくり休んでね」という言葉は、「=安静にしておいてね」ということはなんとなく分かるけれど、心の調子を崩したときの「ゆっくり休んでね」は、どう解釈するのが正解なのか。

涙を流さないように、長い時間眠ること?
無理やりにでも外に出かけて、人と触れ合うこと?

並べてみて改めて分かる。
「休憩」って、痛みや苦しみからの「一時的な回避」を指してるんだな。

筋肉痛は、動かせば治るという。
それなら、心だって追い詰めれば治ってしまうのか。

不足への恐怖と充足への不信感ならば、どちらの方が酷なんでしょうか。

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