お久しぶりです。
心身の安寧秩序を優先して、一時インターネットから離れていました。
少し重めの内容になるかもしれませんが、
お付き合いできそうな方のみ、ぜひ読んでみてください。
今日は、昔からの密かな趣味である占いのために、久しぶりに自発的に街へ出掛けました。
ただ、私は自分が何者かを、
私の周りで何が起こっているのかを知りたい。
当たっていなくてもいいんです。
手がかりがあれば、希望が見えれば、もう少し頑張れそうな気がするからです。
少し緊張しながらペンを受け取り、
名前と生年月日を紙に書き、占い師に差し出すと、
「今まで、地獄のような日々だったでしょう」
「ほんとうに、本当によく耐えてきたね」
と、まっすぐと目を見て言われました。
泣きそうになりました。
地獄、
地獄かあ。
「幼少期のトラウマが尾を引いている」
ああ、まあ、そうかあ、
確かに地獄だったかもしれないな。
未だに、夢の中でトラウマの瞬間に出くわす時があります。
目が覚めると、決まって息は上がり、ぐっしょりと冷や汗をかいているのです。
友人と一緒に寝ている時に叫びながら跳び起きた時もあったかな。
見なかったことにするのが一番手っ取り早い対処法ではありますが、
最近は、特別そう上手くいかなくなってきたような気がしていました。
そろそろ、ちゃんと向き合う時なのかもしれません。
とは言っても、
私のトラウマの詳細について語るわけでは決してなく、
その前の段階である「トラウマとの向き合い方」について。
今日は、長く話すつもりも、
上手くまとめる気もありません。
そういうことを、考えていこうと思います。
トラウマへの向き合い方
以前、「小さい頃の私と今の私は分離しかけている」という話を書きました。
そうやって分離しかけている理由も、
「過去の自分と分離させないと今の自分が持たないから」なのでしょう。
私は、過去の私をトラウマの世界に置いてけぼりにしてきてしまっており、
きっと、そのせいで定期的にトラウマの世界に呼び戻されているのです。
今まで何万回と試してきた「見なかったことにする」という対処法が、
トラウマの根本的な克服に繋がらなかった。
それが、何よりの証拠です。
だとすると、今の私の苦しみは「トラウマを受け持ってくれている過去の自分への同情心」または、「過去の自分を救えない自分に対する嫌悪感、無力感」から来ているものだと考えられます。
それなら、過去の自分に対して、
「離れてごめんね、今の私なら守ってあげられるよ」と言えるようになれば、
この苦しみからは解放されるということでしょうか。
トラウマそのものには焦点を当てず、傷ついている過去の自分にのみ目を向ける。
そうして手を引っ張ってやれれば、なんだか上手く解決するような気がしています。
「頑張れ」は、要らないです。
「一緒に頑張ろうね」も、要らないです。
「頑張ってきたんだね」という言葉がこんなにも嬉しいんだということを、
24年間生きてきて、今日、はじめて知りました。
やっぱり言葉って素敵だなあと思います。