「努力が報われなかった」 「心から信頼できる人が少ない」 「自分の性格を好きになれない」 「生まれてきた意味が分からない」 日々、私の中でうずまく絶望たち。 腹が立つので「全て真正面から向き合ってやろう」 と思いました。 これは『私が生きるための絶望哲学』。 どこかに正解があったとしても、ここには、私が生きることを諦めないために 考えたことを綴ります。 その過程で、 誰かを救えるようなことが あるとすれば、とても嬉しく思います。

「社会不適合者」って、簡単に言わないで

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どうもこの言葉が苦手です。

さて、いよいよ社会生活を諦めつつある私が、当事者意識をもってこの違和感の正体を解明していきます。

「社会」って、なに?

「社会」という言葉は、一般的に「共に生活を営む集団」のことを指します。

「社会不適合者」と聞くと、なんとなく「会社で上手くやっていけない人」というイメージが先行してしまいがちですが、そもそも「社会」という言葉は、会社という組織のことだけを指す言葉ではないはず。

先に提示した定義によれば、
同じ目的を持った相手が複数いれば、
そこに「社会」が生まれるということです。

つまり、家族や友達の関係だって「社会」

ということは、
人は常に複数の社会に属した状態で
生活をしているということになります。

人はひとりでは
生きられない…

人は、常に複数の社会に属した状態で
生活をしている。

私が抱いていた違和感の正体は、
ここにありました。

社会の種類が違えば、ルールも違う。
よって、求められる性質もそれぞれ違うはず。

つまり、家族や友達という社会の中では「適合」とされる性質が、会社という社会の中では「不適合」とされうることだってあるのです。

会社に限って考えると、ある会社においては「適合者」として何不自由なく社会生活を送れていた人が、転職した途端に「不適合者」になってしまう。

そんな可能性もあるということです。

それなのに、「たまたま、その社会のルールに適合していない人」のことを、「社会不適合者」という強い言葉で一括りにしてしまう。

あなたの社会のルール、疑わないの?

絶賛、転職活動中の私。
日々、そんなことを考えています。

ここ一か月くらいずっと体調が悪くて筆が進みません…

筆者のひとりごと

なので、「社会不適合者かも…」
なんて落ち込む必要はないです。

たまたま目の前にある社会のルールに、
たまたま適応してないだけなので。

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