「努力が報われなかった」 「心から信頼できる人が少ない」 「自分の性格を好きになれない」 「生まれてきた意味が分からない」 日々、私の中でうずまく絶望たち。 腹が立つので「全て真正面から向き合ってやろう」 と思いました。 これは『私が生きるための絶望哲学』。 どこかに正解があったとしても、ここには、私が生きることを諦めないために 考えたことを綴ります。 その過程で、 誰かを救えるようなことが あるとすれば、とても嬉しく思います。

それが、思い出になるとき

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例えば、人生のどん底をつくような出来事があったとして。
それが、思い出に変わるときには、必ず「終わること」と「変わること」が前提条件として付き纏います。

周りの環境、自分の気持ちだって。

「ああ、もう戻れないんだ」と悟った瞬間に、すべてが過去のものに変わる。

痛みが伴うでしょう。
苦しみが襲うでしょう。

寂しさだって、ずっと長く続くかもしれません。

だけど、人生は長い。
きっといつか、終わらせないといけないときがくる。

執着や憎しみではなく、思い出として。

どうせ抱えて生きていかないといけないのなら、そうやって生きてゆこうと思うのです。

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