「努力が報われなかった」 「心から信頼できる人が少ない」 「自分の性格を好きになれない」 「生まれてきた意味が分からない」 日々、私の中でうずまく絶望たち。 腹が立つので「全て真正面から向き合ってやろう」 と思いました。 これは『私が生きるための絶望哲学』。 どこかに正解があったとしても、ここには、私が生きることを諦めないために 考えたことを綴ります。 その過程で、 誰かを救えるようなことが あるとすれば、とても嬉しく思います。

不思議なおばあちゃんの話

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不思議なおばあちゃんの話をしたいと思います。

一年前の春、好きなアーティストのライブに行く日。
駅に行くバスに乗るためにバス停のそばで携帯を弄っていたら、向こうの方からてくてくと歩いてきたおばあちゃんに、突然声を掛けられました。

「お姉ちゃん、駅に行くなら逆側のバス停だよ」

当時バスになんか乗る機会がなかった私は、駅に行くバスが来るバス停とは道路を挟んで反対側の方に立っていたらしいのです。このバスを逃せば駅から出発する高速バス(席は予約制)に乗れないところだったので、本当に危機一髪。

「わっ、ありがとうございます!助かりました!」とお礼を言って無事に正解のバスに乗り、ほっとした瞬間、頭の中に違和感の線がひゅんっと走りました。

どうしてあのおばあちゃんは、私が駅に行きたいと思っていることを知ってたんだろう。

仮に、私がバス停付近で不安そうな顔をしてウロウロしていたのならまだ分かります。
あの時の私は、自信をもって堂々と間違えていたのです。

不思議な話をもうひとつ。

今度は、最近の話です。
平日に遅くまで飲み会があった日でした。

ベッドに潜り込んだのは3時すぎ。吸い込まれるように眠りに落ちました。夢の内容はあまり覚えてはいないのですが、突然、誰かに「起きて!」と叫ばれました。思わず跳ね起きて携帯を手に取ると、充電切れで時刻は確認できず。「これは…!」と慌てて絵を描く用のiPadで時刻を確認すると、いつもの起きる時刻ぴったりなのでした。

仮に、いつもと変わらず時刻に寝ていたのなら、「私の体内時計が超正確でした」で終わる話なのですが、その日はいつもより大幅に遅い時間にベッドに入ったのです。

あの時、誰かに「起きて!」と言われていなかったら、きっと遅刻していたことでしょう。

きっと、私は誰かに守られているんだなあと思います。
感謝のきもちを忘れずに、恥じないように生きていこうと思うばかりです。

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