「これ、たぶん誰にも言ってないんだけど…」
「秘密にしといてほしいんだけど」
そんな枕詞のあとに続く、思わず耳を疑う話。
苦い顔、悪い顔、楽しそうな顔、どこかほっとしたような顔。みんな、いろんな表情をしながら私に内緒話をしてくれます。
「交友関係は狭く深く派」な私。関係が深まれば、そういったトーンの話も増えるでしょう。
ただ、私の場合、関係値の深さや立場の差に関わらず、なんだか人の秘密を知ってしまうことが多い気がするのです。
久しぶりの更新になります。
今回は、こんな謎についてゆっくり解明していけたらと思います。

頭が働かない
「内緒話をされやすい人」ってどんな人?
人は好きだが、事象自体への興味が薄い
結論、「事象自体に興味が薄そうなところ」が、内緒話の相手として選ばれがちな人の持つ特徴なんだと思います。
例えば、仲の良い友人から「実は浮気をしている」という相談を受けたとしても、私は叱ったり説得したり、また逆に軽々しく共感したりはしません。
相槌なんて、「今はそういう状態なんだね、まあ良くはないかもね」で、終わり。
もちろん、大前提「浮気なんて大悪党のすること」だとは思っていますが、だからといって、その友人の評価を一気に落とすことはほとんどないです。
これは、私が、「事象から推測されるその人の性質」と、「対話から見えるその人の本質」を、切り離して考える癖があるからかなあと思っています。
以下、「出来事」を「事象」、「対話から見えるその人の本質」を「本質」と記述します。
人の本質は、きっと、たったひとつやふたつのおかしな事象が起こったところで、そう易々と変わるものではありません。
したがって、既に本質に触れることができており、かつ、それに心地よさを感じたことのある相手に対しては、たとえどんな事象がその人を襲ったとしても、概ね何とも思わないのです。(※限度はあるよ)
どちらかというと、事象そのものよりも、「その本質を持っていながらその事象が起こるに至った経緯」の方に興味があります。
「この人にならきっと嫌われない」という安心感が、きっと彼らをそうさせるのだと思います。
本質と事象、先にどちらに触れたか
さて、本題から少しズレますが、
もう少し掘り下げたところまで考えてみます。
前章の以下の文章について。
既に本質に触れることができており、かつその性質に心地よさを感じたことのある相手に対しては、たとえどんな事象を伝えられたとしても、概ね何とも思わないのです。
逆の場合、つまり、「本質」よりも先に、「事象」が目に入ってしまった人に関しては、どういう認識になるのか。
結論、その事象が私にとって悪に分類されるものであった場合、本質も悪寄りの認識からのスタートになります。
そうなってしまうと向き合うことすら億劫になるため、ほとんどの場合において、その後に認識が覆ることはありません。



前に書いた信号無視する格好良いお兄さんとかもそう。
私の中ではあの瞬間から、本質まで完全に悪人です。
ただ、これは自分でも良くない癖だと認識しているので、最近、関係値の浅い人と対峙するときは、目の前の事象には多少なりとも目をつぶった状態で、たっぷりと時間をかけて話をするようにしています。
事象よりも、本質に触れたい。
今までどんなものを見て、どんなことを経験して、どんなことを考えて、どういう選択肢を選んでここまで辿り着いた?
どんなことが好きで、どんなものが苦手?なんでそういうことを思うの?どんなときに心が弾む?どんな未来を想像してる?
私は、そういう話ばかりを、
たまにでいいから、たくさんしたいなと思っています。