「努力が報われなかった」 「心から信頼できる人が少ない」 「自分の性格を好きになれない」 「生まれてきた意味が分からない」 日々、私の中でうずまく絶望たち。 腹が立つので「全て真正面から向き合ってやろう」 と思いました。 これは『私が生きるための絶望哲学』。 どこかに正解があったとしても、ここには、私が生きることを諦めないために 考えたことを綴ります。 その過程で、 誰かを救えるようなことが あるとすれば、とても嬉しく思います。

変わっていくことが受け入れられない

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今まで私の傍にあったものたちが、いつの間にか私の手元を離れて、私の知らないところで少しずつ変わっていくことが悲しくて、受け入れられなくて、本当にどうしようもないです。

「変わらないもの」なんて、きっとひとつもない

弟、見ない間にまた大きくなったな。
お母さん、ちょっと痩せた?
お父さん、またシャンプー変えてる!

このあたりにグレーの子猫が居なかったっけ。
…あれ、大きくなりすぎて分かんなかった!

確かここをまっすぐ行くと大きなY字路があって、右に行くと転校していったあの子の家があって。…そうだ、もうなくなったんだった。

そう言えば陸上部のあの先輩ってどうしてるの?
そうだよね、知らないよね。

「歩くの速すぎ」って、
昔からこれくらいだったよ、私。

慣れ親しんだ街の風景、
親しかった人たちの一挙手一投足。

きっと、自分だってそう。

たぶん、変わらないものなんて、
ひとつもないこと。

悲しい、寂しい。
受け入れがたいけれども、事実です。

人間の持つ心理的恒常性

人間には、「心理的恒常性」というものが備わっているという話を聞いたことがあります。

変化が怖い。面倒くさい。
現状維持できっと大丈夫。
これくらいが丁度いい。

こういった感情には、この心理的恒常性のはたらきが大いに関係しているのだそうです。

したがって、「変わらないでいてほしい」という私の願いは、人間の本能から生まれた感情だということです。

私が特別我儘だからでも、
寂しがりやだからでもない。
つまり、当たり前で、きっと仕方がないこと。

だから、声を大にして言いたい。

もうみんなこれ以上変わらないで。

私の知らないところで、
勝手に変わっていかないで。

だけど、でもね。

どうか、
悪いことがひとつも
起こりませんように。

どうかどうか、
私の大切な人たちが、
ずっと温かい世界の中で
生きてゆけますように。

それだけ、よろしく。

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