「努力が報われなかった」 「心から信頼できる人が少ない」 「自分の性格を好きになれない」 「生まれてきた意味が分からない」 日々、私の中でうずまく絶望たち。 腹が立つので「全て真正面から向き合ってやろう」 と思いました。 これは『私が生きるための絶望哲学』。 どこかに正解があったとしても、ここには、私が生きることを諦めないために 考えたことを綴ります。 その過程で、 誰かを救えるようなことが あるとすれば、とても嬉しく思います。

他人と比べて落ち込むことがやめられない全ての人たちへ

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絵が描けなくなってしまいました。

恥ずかしくて到底プロのそれとは並べられない程度の力量ですが、それでも大学時代にはお小遣いくらいは稼げるようになり、広告会社に入ってからは「自分の言葉と絵で地元に恩返しをする」という大きな夢も叶えました。

それが、最近、
思うようにペンが走らないのです。
そもそも、頭の中に絵が映らない。

大きな原因はふたつ。
単なるキャパシティの問題と、AIの台頭によるものだと思います。

最低最悪です。

創作者にとって、少なくとも私にとって、「何も生み出せなくなること」は、すなわち「死んだも同然」だからです。

奪っていったのが、人ならばまだよかった。

それが、心のひとつすらも
持ち合わせていないAIとは。

どうして私がこんなにも怒り狂っているかというと、私にとっての創作とは、単なる趣味でも仕事でも、夢の一部なんかでもなく、それよりももっと根源的な、幼い頃にやっとの思いで確立した「生存戦略」だからです。

性格が良く、誰から見ても特別優秀だった兄と、何かあるとすぐに泣き出す甘えん坊、贔屓目に見ても可愛い弟の間に生まれた私は、真ん中っ子の宿命(だと思っている)である「親の愛情争奪戦」のために、兄弟との差別化を図るという過程において、「絵を描くこと、文章を書くこと」という特技、それと、反骨芯から生まれた「誰の言葉にも従わない」という性格を早々に手に入れました。

今思い返せば、理系脳で産まれたはずの私が一直線に文系の道に進むことを決めたのは、決して有り得ないくらいに数学の出来が悪かったとかそういうわけではなく、理系一族の中で埋もれてしまわないために、無意識に頭が数字を避けていたためかもしれません。(なんてね!!!)

頭の中を他の人よりも少し自由にしておくだけで、私は、こんなにも簡単にアイデンティティを保てる。

小学校でも中学校でも高校でも、大人になった今だってそう。
幼い頃から今日までずっと、私はそうやって生きてきたのです。

それが、今やツールを使えば誰もが何かを生み出せる時代になりました。
無機質なものばかりでも、きちんと世界が回ってしまうということが証明されてしまった今。

私はどうすればいいの?
どうすれば選んでもらえるの?

いや、果たして、今までに成し遂げたことがひとつでもあっただろうか。他の誰よりも優れているものがひとつでもあっただろうか。

そんな人間に、存在価値などあるものか。

思うように走らなくなってしまったペンの先を見つめながら、しばらく、そういうことばかりを考えていました。

次第に頭の中がめちゃくちゃになって、また熱を出して、そうして、はっきりと分かったことがあります。

私は、まだ創作の世界にしがみついていたい。

自分の存在価値は、
その中にあると信じていたい。

さて、私はもう絵が描けなくなってしまいました。

きっと、もう少しすれば、文章だって書けなくなってしまうのでしょう。今だってもう、前のようには言葉が浮かんでこないのです。

その時のために、私は今のうちに何かをどうにかしなければ、このままどうにかなってしまうような気がしてならないのです。

と、ここまでが4月までの話。
ここから先は、最近の私の言葉です。

存在価値がない?
どうにかなってしまうような気がしてならない?

ううん、なんてことはなく!

私は最近、私の成し遂げたことや能力の有無なんて、本当はどうだっていいということに、ようやく気が付いたのです。

きっかけは、5月上旬のある日。

それは、大型連休の間に、
実家に帰省した時のこと。

たまたま帰ってきていた親戚に、
ご先祖さまの話を聞かせてもらいました。

本当に驚きました。
今まで、まったく知らなかった。

その人柄のおかげで、敵国の地でも慕われ続けた兵隊さん。広大な土地を治めていたお姫様や、大商人もいたんだとか。

名前も顔もあまり知らない人の話。
果たして、その話は本当か嘘かは分からないけれど、心がふっと温かくなるのを感じました。

それから、もう少し周りを見渡してみて、
もっと大切なことに気が付くのです。

兄弟、両親、祖父母、従妹、もう少し遠くの親戚。みな賢く、明るく、愛情深く、人間らしい悩みも欠点もまた尊く。

私は、こんなにも素晴らしい人たちが繋いでくれた命の先に立っているんだなあと、思いました。

いや、立っているんじゃなくて、
立たされている。

生きているのではなく、
たくさんの人に生かされている。

なんで壮大な、それだけで特別なことか。

そうこうしているうちに、
なんだか涙が出そうになったので、
猫を追いかけるふりをして庭に出ました。

次の日の朝、祖母が遺してくれた畑で、父と野菜の収穫をしました。
父は、玉ねぎを天日干しするとき用の紐のくくり方を教えてくれました。

こんな小さな知恵だって、誰かが同じように誰かに繋いで、巡り巡って私の元に辿り着いたのでしょう。

そして、私もいつかこうして、誰かが命を賭して守ってくれた土の上で、誰かに玉ねぎの縛り方を教えるのでしょう。

髪の結び方だって、母が私にしてくれたように、
そして、母が誰かにしてもらったように、
きっといつか、私も誰かの髪を結ってあげるときがくるのでしょう。

大きな手で頬を包まれた時の安心感を、柔らかい胸の中で眠りにおちる心地よさを、
私も、まだ見ぬ小さな誰かに繋ぐときがくるのでしょう。

人は、与えられたものしか与えられない。
そういう風にできています。

だから、「私だけ」になんてなれないし、なろうとする必要なんてないのです。

このことに気が付いてから、私は今まで一体何と戦っていたんだろうと思いました。

何かを成し遂げる、人よりも優れた地位や名誉を手に入れて気持ち良くなる。

きっとね、そんなことよりも。

繋ぐことに意味がある。
私が与えられたものたちを、他の誰かに、
次の誰かに与えることに意味がある。

きっと、私が生き続けるためだけに立ち上げたようなこんなブログサイトだって、
いつか別の形になって、誰かの役に立つ時がくるのでしょう。

ここに辿り着くまで長かった。
ああ、本当に苦しかった。
でも、やっと長年の苦しみの根源から解放されたような気がします。

そうして、こんなことがあるから、
やっぱり、文章は書き続けたいなあと
考え直すことになるわけです。

きっと、明るい日々が続きます。


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