「努力が報われなかった」 「心から信頼できる人が少ない」 「自分の性格を好きになれない」 「生まれてきた意味が分からない」 日々、私の中でうずまく絶望たち。 腹が立つので「全て真正面から向き合ってやろう」 と思いました。 これは『私が生きるための絶望哲学』。 どこかに正解があったとしても、ここには、私が生きることを諦めないために 考えたことを綴ります。 その過程で、 誰かを救えるようなことが あるとすれば、とても嬉しく思います。

「完全室内飼いの猫」って、本当に幸せなの?

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※この記事は、「猫の完全室内飼い」を否定する趣旨のものではありません。
※「猫の完全室内飼い」については、環境省が定める『家庭動物等の飼養及び保管に関する基準』で推奨されています。

私は、動物保護施設に勤めていたことがあるのですが、恥ずかしながらそこで初めて「猫は完全室内飼いが常識である」ということを知りました。

「本当に猫の幸せを思っているのなら、外になんか出さないはずだ」と言われたときは、こっそり冷や汗をかいたことを覚えています。

のちに、施設から一匹の猫を譲り受けることになったのですが、手続きの際に渡された書類には、完全室内飼いを指示する旨の文章が書かれていました。

もちろん、その子については外飼いによって起こるさまざまなリスクを学び、納得した上で完全室内飼いをしていますが、窓の外の鳥を目で追う様子を見ていると、いまだに「いいのかなあ…」という気持ちになるのも事実。

「猫のためだから」「幸せだから」という人に会うと、「いや、それってつまるところ人間都合じゃない?」と、どうしても感じてしまうのです。

うーん

さて、今回は法律云々を一旦抜きにして、「完全室内飼いされている猫は幸せなのか」という問いの奥に隠れた「動物に対する倫理的問題」について考えていきたいと思います。

猫を外に出すことで想定されるリスク

①交通事故や猫同士の喧嘩による怪我
②ノミやダニ、感染症の感染
③近隣の住民への迷惑など

目次

完全室内飼いの猫は、幸せなのか

👆🏻うちの猫です。

※そもそも、「人間以外の動物にとっての幸せ」は、人間が判断できるものではないということを大前提として

人間にだって、
身体を動かすことが好きな人、
寝ることが好きな人、
肉が好きな人、魚が好きな人、
様々な人がいます。

外に出れば事故に遭う可能性が。
病気にだってなるかもしれない、なんて。

そんなの、人間だって同じじゃないですか。

また、「長く生きること」が「幸せ」に直結するとは限らないとも思うんです。

私だって、分からないです。
きっとあなただって分かっていない。

それなのに、動物のことになると人間の想像の範疇で勝手に「幸せ」「不幸せ」を決めてしまう。

そういう節が、昔から人間にはあるようです。

「動物を飼う」という考え方は、倫理的に悪にはならないのか

他種族を完全に支配することは許されるのか

日々、あらゆる生き物の肉を食べ、猫と一緒に暮らしている私が言えることではないことは百も承知で疑問を提示しますが、そもそも「他種族の動物を、完全に管理すること」って、倫理的にはどうなんでしょうね。

犬や猫が人間と暮らし始めた理由として、「利害関係が成り立ったから」ということが、有力な理由として唱えられています。

私が「ペット」や「飼う」という言葉に対して、なんとなく違和感を抱いてしまう理由は、おそらくここにある気がするのです。

なぜなら、
「利害関係が成り立つ」ということは、
「対等な関係にある」ということだから
です。

対等な関係性である以上、
一緒に暮らしているからといって、
生活の全てを管理する権利は生まれません。

一緒に居たい時には、一緒に居ればいい。
遠くに行きたければ、遠くに行けばいい。

たとえ、それで命を落としたとしても、
それが自然なことだと思う。

もちろん、現代社会において、人間側がきちんと管理しておかなければ犬や猫たちが殺処分されてしまうシステムが出来上がってしまった以上、こういった理想論は通用しないことは理解しています。

ただ、窓の外を眺める猫の横顔を眺めていると、どうしても、少し切ない気持ちになってくるのです。

補足

元々外で産まれ、外で生活していた猫についてのお話です。

※この記事は、「猫の完全室内飼い」を否定する趣旨のものではありません。
※「猫の完全室内飼い」については、環境省が定める『家庭動物等の飼養及び保管に関する基準』で推奨されています。

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