教室の端でいつも読んでいたあの本。
深夜に突然呼び出されて手伝わされた洗車。
ウシガエルを探して公園を練り歩いた夜。
雑なコラ画像で朝まで笑い転げた電話。
毎年恒例のカブトムシ採り。
名前を呼んでくれる時の変な声。
生き方について真剣に説教してくれた日。
海の漂着物で作ったコックピット。
どこでつけてきたか分からないモグラの豆知識。
魚の解説をされていたら
いつの間にか夜が明けて、
適当すぎてメモ帳みたいになったLINE。
誕生日に送る鉄板ネタ。
泣きながら一緒に応援したあの夏の高校野球。
足りない頭を持ち寄って真剣に語り合った未来の夢や、未だに吹き出してしまう学生時代のやらかしエピソード。
恋人と別れたときに笑わせてくれた夜。「あなたなら、ちゃんといい恋ができるよ」って励まされたっけ。
親にも、女友達にだって言えなかったこと。
「お前」なんて呼べないでしょ。
男友達だからできたの、あんな雑で笑える話。
もしも、本当に男女の友情が成立しないというのなら、あの頃の私たちは一体何だったのでしょう。
私の心の中で温かく灯っていた「人として好き」という感情は、それでも本当に不純なものだったのでしょうか。
積み上げてきた信頼、大切な思い出だって、恋心で繋がれた関係の前では「何かの間違いだった」と、なかったものにしなければならないのでしょうか。
恋心の上でなければ、対人間として向き合うことも許されないの?
こうなることが分かっていたのなら、いっそのこと告白でもしておけばよかった?
私は「男女の友情は成立する」という話をしたいんじゃない。今さら何かをどうにかしたいわけでもない。
変わってしまった、終わってしまいそうないくつかの関係を思い出した夜。
「彼氏ができたら星空の写真をアップする」
そんな馬鹿げた約束を残したままの。
ただ、ちょっと思い出しただけで。