「努力が報われなかった」 「心から信頼できる人が少ない」 「自分の性格を好きになれない」 「生まれてきた意味が分からない」 日々、私の中でうずまく絶望たち。 腹が立つので「全て真正面から向き合ってやろう」 と思いました。 これは『私が生きるための絶望哲学』。 どこかに正解があったとしても、ここには、私が生きることを諦めないために 考えたことを綴ります。 その過程で、 誰かを救えるようなことが あるとすれば、とても嬉しく思います。

さあ、もう一度前を向こう

当ページのリンクには広告が含まれています。

薄らと「まずいな」と感じていた程度でしたが、
とうとう会社の真ん中で涙が止まらなくなりました。

先週の木曜日のことです。

その日の夜、心情をSNSで吐露すると、
同業種の仲間たちが次々に声を掛けてくれました。

「いっぱい食べていっぱい寝ること」と助言されたので、
鼻をすすりながら、スーパーで買ってきた唐揚げをたらふく食べました。

金曜日、仕事を終えたあと、髪の毛をもう少しだけ切ってもらいました。
だいじょうぶ、これからは伸ばすつもりです。

土曜日、地元の友達ふたりが私のところへ会いに来てくれました。
前日まで雨予報でしたが、船に乗って海を渡る間に雲はどこかへ行き、島に足をつける頃にはぽかぽかの春の陽気に。自分たちは雨女だと自称する友達ふたりは、私の晴れ女ぶりを何度も褒めてくれました。

少しして、疎遠になっていた幼馴染からの連絡がありました。
なんでもないような会話でしたが、やっぱり少し心がほっとしました。

夜には、遠くに住む旧友と久しぶりに電話をしました。
私の話をゆっくりと聞いてくれたあとに、仲が良かった頃によくやっていた意味不明な言葉遊びをしました。涙が出るほど笑ったのは久しぶりのことです。

今日の朝、携帯を開くとYouTubeの登録者がいつの間にか増えていました。あのたどたどしい喋りを聞かれていると思うと、嬉しいような小恥ずかしいような。だけど、こうして同じように悩んでいる人の心に寄り添えるチャンスが増えるなら、私は恥ずかしくてもいいや。

部屋の掃除を終えて昼寝をしていたら、幼い頃に一番恐れていた恩師が夢に出てきました。この恩師は大抵、私が立ち止まってしまいそうな時にきまって夢に登場してくれるのです。大人になった今になっても、目にするだけであれほどの緊張感が走る人物は唯一この恩師だけなのですから、幼い頃の私はどれほど追い詰められていたんだろうと思うとなんとなく微妙な気持ちになりましたが、覚悟はできました。

さあ、もう一度前を向こう。

人生はきっと思うよりも短くて。
やりたいことも、やれることも、まだまだたくさんあります。

私には、助けてくれる人がたくさんいる。
助けたいと思う人もたくさんいる。

たとえこの世のすべての解釈が結果論によるものだとしても、
自分で選択を重ねながら生き続けるしかないのです。

それは絶え間なく。

頑張る、頑張ろう。
私もあなたも。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
目次