「努力が報われなかった」 「心から信頼できる人が少ない」 「自分の性格を好きになれない」 「生まれてきた意味が分からない」 日々、私の中でうずまく絶望たち。 腹が立つので「全て真正面から向き合ってやろう」 と思いました。 これは『私が生きるための絶望哲学』。 どこかに正解があったとしても、ここには、私が生きることを諦めないために 考えたことを綴ります。 その過程で、 誰かを救えるようなことが あるとすれば、とても嬉しく思います。

人は、過去に出会った人で構成されていく

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口癖、姿勢、信じているもの、思考の癖、趣味、好きな音楽、世界の切り取り方。

そして、それらを私に与えてくれた人。
たとえば、家族、幼馴染、好きな作家、職場の上司、芸術家、元恋人。

ふとした瞬間、自分の中に過去に出会った人たちを見ることがあります。
「これ、今私が言ったのって、あの人がよく言って言葉だな」なんていう風に。

人は、過去に出会った人で構成されていく。

つまり、人と対峙しているとき、
私たちはその人の過去の人とも対峙しているということです。

特に私は人の好きなところをすぐに取り入れる癖があるので、私について褒められたとしても、ピンとくることはそんなにないです。
というよりも、「でしょ?私の周りの人たち、本当にいい人ばかりだったんだよ」「素敵な人たちに囲まれて育ったんだよ」「それで、こんなに楽しかったんだよ」と、周りの環境について誇らしく思う傾向にあります。

そんなことを考えているうちに、本当の意味で人のことを愛するためには、その人の構成要素となってくれた過去の人たちまで愛する必要があるんだなあ、というところにたどり着きました。

まあ、だからといって、どうというわけではないです。
あと、褒められることが嬉しくないわけではないです。
ちゃんとにんまりします。

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