「努力が報われなかった」 「心から信頼できる人が少ない」 「自分の性格を好きになれない」 「生まれてきた意味が分からない」 日々、私の中でうずまく絶望たち。 腹が立つので「全て真正面から向き合ってやろう」 と思いました。 これは『私が生きるための絶望哲学』。 どこかに正解があったとしても、ここには、私が生きることを諦めないために 考えたことを綴ります。 その過程で、 誰かを救えるようなことが あるとすれば、とても嬉しく思います。

きっと、誰かに守られている

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ふたつ、不思議な話をしたいと思います。

一年前の春、好きなアーティストのライブに行く日。
バス停のそばで携帯を弄っていると、向こうの方からてくてくと歩いてきたおばあちゃんに突然声を掛けられました。

「お姉ちゃん、駅に行くなら逆側のバス停だよ」

この高速バスを逃せばライブには絶対に間に合わなかったので、本当に危機一髪。
お礼を言って無事に正解のバスに乗り、ほっとした瞬間のこと。

どうしてあのおばあちゃんは、私が駅に行きたいと思っていることを知ってたんだろう。

仮に、私が不安そうな顔をしてバス停付近をウロウロしていたのなら、まだ分かります。
ただ、あの時の私は、自信をもって堂々と間違えていたのです。

今度は、最近の話。
平日に遅くまで飲み会があった日のことです。

ベッドに潜り込んだのは午前3時を少しすぎたくらい。
髪の毛もろくに乾かさないままで、吸い込まれるように眠りに落ちました。

どれくらい経ったでしょうか。
夢の中で、突然誰かに「起きて!」と叫ばれたのです。

訳の分からないまま跳び起きて時刻を見ると、いつも起きる時刻ぴったりなのでした。

仮に、いつもと変わらず時刻に寝ていたのなら、「私の体内時計が超正確でした」で終わる話なのですが、その日はいつもより大幅に遅い時間にベッドに入ったのです。

きっと、私は誰かに守られているんだなあと思います。
感謝の気持ちを忘れずに、恥じないように生きていかなければと思うばかり。

もう、本当の本当にそんなことばかりです。

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